言語でワタシは表せない

ときに重箱の隅の隅にあるご飯粒が半分になったような

ささいなことが気になったりしたので、

 

「今日は、お友達と遊びました。」

的な小学1年生の日記みたいな表現は気楽なのだけど、

 

自分の中にうずまく想いや感情を表現したくなるようなお年頃になって

誰かに伝えたくなったときに、

言葉を選び、紡ぎだすことが、

すこぶる難儀であった。

 

荒れ狂う海のような感情や、そこにいたる関係性・事件・性格などありとあらゆることが絡み合って一瞬間浮かび上がった感情の、

どこをどう切り取って、どんな単語を使って、表現するのか、

正確に表現することは難しく、

かなりざっくりした網目にひっかかった言葉を使うしかなかった。

 

その言葉たちは、ワタシを表現しているようでどこか嘘くさく、

その嘘くさい言葉を聞いて反応してくる言葉たちにも、

興ざめしていた。

 

そう、【言語でワタシは表せない】。
言語に対する諦めに近い残念感が浮上したのには、

ワケがある。

 

21世紀悟り人、Nohさんが、言語の限界を語っているのだ。

私たちが使っている限界ある言語を、Nohさんは「アナログ言語」と言っている。

このアナログ言語を包み、上昇させる言語として「デジタル言語」をうたっている。

 

当然のように言語を使っているから、

哲学者のように言語を追及してきている人は別として、

大方の人は、”包んで上昇させる言語”だなんて想像もつかないと思われる。

 

この革新的な内容を、深めていきたい、知りたいと思っている今、

ちょっとここに書き留めておきたい

願わくば、ささやかな発信ながら、

2022年の日本で、私たちの未来に関わる最大級の事件がおこっていることを

知ってもらって、

一緒に楽しみたいなと思っているところです。