どっちをとるか
長年しみついた、いつもしてしまうこと
特にここずっと
先延ばしにしてしまう
今日は結論をだそう
しない選択もある
したいと思っているからぐだぐだする
限りある時間
もったいないでしょ
すると決めたら、結果は考えずさっさとする
しないなら、それはそれ
あぁ 心折れそう
背中を押す大きな私
小さい私、一歩前へ
その一歩が大きいよ
2022年のわたし的漢字1字
相変わらずあわただしいと思ってしまうときのなかで、
冬至間近の本日、この1年を振り返る時間をもらった。
私の2022年を漢字一文字で表現するとー--
それは、
「転」。
お仕事としてはとても大事な年なのに、つまづいて【転】んでしまった感
環境に大きな変化があり、今までになくいろいろな感情を味わった
人生にくじけそうになりながら、この年を【転】機としてまた進もうと思えている
そして、混迷深まる時代についても、【転】換点として新たな時代を創ろうと意志が立てられた
さぁ、行こう☆彡
無題~ただのつぶやき~
ゆっくりすることとか、おしゃべりすることが
苦手
懸命に生きなければ悪いような気になる
怠惰に罪悪感がある
効率いいこととか、向上とか、進化とか、
楽しいとか、役に立つとか
生きるエンジンとなったこと、いいと思ったこと、
今までのすべてをとっぱらったところから進むしかないような、
そんな時なんだな
やっぱり脳は絶対ではないっ
言いかえれて言うなら、
自分がみている世界は、万人共通ではない、ということ
この話をするのも、今日脳挫傷をした友達の話をきいたから
彼女によると、3年前に春スキーで転倒して強く頭を打ち、
ドクターヘリで搬送されたそうで、
前頭葉一部壊死など、脳にかなりのダメージがあったらしい。
・・・一歩間違ったらお亡くなりになってもおかしくない状況、生きていてくれて、
嬉しすぎ
で、入院しているときいろいろな症状があったなかで、
ある時期、目線を1cmずらすとぐわぁ~んと世界がまわって、
見ている世界がゆがんで見えたそう。
こんな感じに、本当に ↓
自分がみている世界は自分の脳が働いてみせている世界なので、
隣でみている彼とも彼女とも違う
この不完全な画像をもとに、考えたり感じたり、
見ている世界が違うのに、人に押し付けたり、
してしまうのよね、人間って。
とんでもないこと3つ
本物の方Noh Jesu氏が言っていた、とんでもないこと3つ
1 とんでもない時代
2 とんでもない日本
3 とんでもない技術・ソリューション
それぞれが、とんでもなかった
(ふいに、とらぶりゅうの”なんでもないようなことぐぁ~♪”が浮かんだが、これはどうでもいいとして)
なんだか、今の時代の日本に生まれて有難いし、人間本当にすごいから、
そのすごさをもっともっと味わい尽くしてやるぜ!!って感じ!!!
必見ブログ 日本文明のアモールファティの涙
全日本人へ 必見ブログの紹介です
Noh Jesu氏のブログが更新されました!
タイトルは、「日本文明のアモール・ファティの涙」
タイトルだけでひかれる
また書きます
取り急ぎ、伝えたくて
※つぶやきのようなブログに(^^)
役割をまっとうせよ
なぜ生きるのか、なぜ生まれたのか、どこにいくのか、自分とは何か、人間とは何か
かつてそんなことをよく考えていて
どうせ生きるなら、私は私の王道をいきたいと決めていた
何が王道かもわからずに
奇跡的に、師とnTech認識技術と出会って思い通りになったわけで
しばしそのフレーズが引き出しに入っていた
思い出したのは、新渡戸稲造「武士道」の次の一文による
「名誉とは、境遇から生じるものではなく、それぞれが自己の役割をまっとうに努めることにある」
改めて自分に問う
あなたの役割は何か
役割をまっとうするべく歩んでいるか
今回の生は、一回だけだからね
生きたいように、やりたいように、いくがよい
遊ぶがよい